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母との残り日24-送る時

火葬を待つ霊安室で姉と私は母と四日間を過ごし泣いては笑い笑ってはまた泣いた。

縮小うど
 頑固で乱暴な父に怒鳴られたり手を上げられても言い返したり声を荒げるということもない母だった。それでも母なりのしたたかさなのか幼いころ、父の目を盗んでよく映画を観に連れて行ってくれた。「赤銅鈴之介、琴姫様七変化、伴淳の二等兵物語・・」今や何もかもうろ覚えだが「大勝館」という町の小さな映画館だった。映画の中身より父が先に帰ってないかどうかだけを恐れて急ぐ帰り道のスリル感が今でも鮮やかに蘇る。

納棺士が白い旅支度をさせ母はついに棺に納まった。みると口が開いたままの不自然な死化粧で「これは母さんじゃない、最後のお別れに来た人たちに見せたくない」というのが姉と私のまっさきの気持ちだった。
納棺士や身内が部屋を出たのを機に二人でドアに内から鍵をかけた。棺の白綿の美しく飾られた詰め物やドライアイスの位置をあちこち取り換え母のあごを抑えどうにかその口を閉じお化粧直しをした。自分たちが知っている母の顔に少しでも近づけたかった。
そんな冷や汗もののジタバタも母ならその口調でこともなげに「いいもんだぉん・・ありがと」と言ってくれる気がした。

桜が静かに散り始め「普通のでお願いしますが、三月生まれで花見時に逝った我慢強い母でしたから」と頼んであった戒名は「春覚桜耐信女」と刻まれた。(完)

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プロフィール

おてんばば

Author:おてんばば
otembaba 長浜友子
(Nagahama Tomoko )
2006年からドイツとポーランドで日本語教師。大学の学生寮になぜかひとり、昔々の女学生が・・・
2008年から野の国ポーランドに再び住み始め、スケッチと簡素な暮らしの不自由さを楽しんだり、嘆いたり。
ポーランド語訳付 tłumaczenie na język polski:Judyta Yamato

2010年10月帰国

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